ミュージアム

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ミュージアムについて

開山住職釈耕三は、ご母堂のため故郷の瀬戸田町に別荘兼安息所として、潮聲閣を建てました。この潮聲閣を飾るための調度やのち寺院建立とともに博物館開館のために蒐集されたのが潮聲閣コレクションです。
終戦直後から収蔵品の展示公開を行っていましたが、昭和27年博物館法施行に伴い国の登録博物館として昭和28年3月14日に再発足致しました。

コレクションは、「仏教美術」「茶道美術」「近代美術」が大半を占め、「快慶作 宝冠阿弥陀如来坐像」「唐花鴛鴦八稜鏡」「佐竹本三十六歌仙 紀貫之」など、多くの重要文化財、重要美術品を収蔵しております。

代表的コレクション

釈迦如来立像しゃかにょらいりゅうぞう

平安時代(9C) 国重要文化財

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本像は大部分が榧の一木から彫り出されていますが、両手先、左足指先、螺髪などは後に補修されています。それでも、豊かな量感を持つ体躯や温厚な面相、衣を密着させて体躯の質感を表現していることなどは平安時代初期の作風をよく伝えています。
一方で、袖口の前面に見られる渦巻文様や、外側に飛び跳ね上げるような形になっている裳裾など、特徴的な彫法も見られます。
ところどころに一木造り特有の木割れが見られますが、像全体が後世に磨き上げられたと思われる点や、補修が度々施されている点など、1200年もの間大切に伝えられてきたことが見てとれます。

釈迦如来坐像

釈迦如来坐像しゃかにょらいざぞう

平安時代末~鎌倉時代初(12C) 国重要文化財

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現在、本堂東翼廊に安置されている本像は、奈良興福寺に伝わったもので、温和で優雅な表情や浅く彫られた袈裟の衣文などは、平安時代末期の作風をよく伝えています。いまでは口の周りにのみ漆箔(漆を塗った上に金箔を貼る技法)が確認できますが、かつては全身に金箔が貼られていました。なお本像は、寄木造りによる丈六仏です。
丈六仏とは、像高が一丈六尺(約4.8m)の半分ほどになる坐像のことで、坐像の大きさを示す一つの基準になります。ちなみに、丈六仏より大きなものを大仏と呼びます。本像の像高は約2.33mですので、丈六仏と呼んで差し支えないでしょう。

浄土曼陀羅刻出龕じょうどまんだらこくしゅつがん

平安時代(12C) 国重要文化財

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白檀の一材から刻出された本品は浄土の光景を表現しており、内部は上中下の三段に分かれています。上段中央の宮殿には宝冠阿弥陀如来と二菩薩が、その左右の小宮殿にはそれぞれ菩薩が刻出されています。中段には楽器を奏する菩薩や四天王が見え、下段には菩薩・仁王が見えます。また、上段宮殿前で念仏三昧を行う十人の僧侶は、念仏を唱えれば浄土へ行けるという当時の思想を表しています。緻密な造形だけでなく、各仏の衣文や後部壁面には截金(文様形に切った金箔を漆で貼る技法)が施されるなど、全体的に非常に精巧な作りとなっています。

宝冠阿弥陀如来坐像ほうかんあみだにょらいざぞう

鎌倉時代(13C)快慶(かいけい)作 国重要文化財

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高く伸びた髻(もとどり)が特徴的な本像は、建仁元年(1201)に名仏師快慶の手で作られ、伊豆走湯山常行堂の本尊とされました。
これらのことは、台座と接する膝裏部分に記された一文によって分かります。
さて、このような髻を持つ仏像は例外なく宝冠を被っています。本像にも頭髪下部に冠の一部が残っていることから、唐草文などで形作られた冠を被っていたと思われます。また本像は、檜の寄木造りで内部は空洞になっており、体躯には漆箔(漆を塗った上に金箔を貼る技法)が施されています。一方で、端正な顔立ちは秀麗で知られる快慶の作風をよく伝えています。

阿弥陀如来立像あみだにょらいりゅうぞう

鎌倉時代(13C) 国重要文化財

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秀麗な面相を持つ本像は快慶の流れを汲む仏師によって作られたと思われます。
本像は檜の寄木造りで、内部は空洞になっています。かつては表面全体に漆箔(漆を塗った上に金箔を貼る技法)が施されていましたが、いまはそのほとんどが剥がれています。本像において特に注目すべき点は、空洞となった像内部に願文などが納入されていたことです。
願文は鎌倉幕府の中枢に参画した藤原行光の自筆文書の裏面に書かれていることから、行光の冥福を祈るために書かれたと考えられます。しいては、本像自体も行光の供養のために作られたと考えていいでしょう。

信貴形水瓶しぎがたすいびょう

鎌倉時代(13C) 国重要文化財

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仏前に浄水を供えるための容器を水瓶を言います。その中でも、蓋と把手が蝶番(ちょうつがい)で繋がり、且つ注ぎ口が長く伸びているものを信貴形水瓶と言います。これは、奈良県にある信貴山朝護孫子寺に伝わる水瓶の形に由来する名前です。本水瓶を見ると、蓋は菊をかたどった蝶番で把手を繋がれ、注ぎ口は大きく湾曲しながら上方に伸びてなど、信貴形水瓶の特徴をよく備えています。
さらに、獅子型の鈕、注ぎ口根元を飾る牡丹文様、全体に均整のとれた姿形など、技巧が凝らされています。鎌倉時代に作られた水瓶の中でも名品の一つに数えていいものです。

千手千眼観音像図せんじゅせんがんかんのんぞうず

鎌倉時代(13C) 国重要文化財

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千の手のそれぞれには眼が一つあるとすることから、千手観音は正式には千手千眼観音と言います。ただ、一般的な千手観音像には千もの手はなく、四十本程度が普通です。本図の観音菩薩は宝冠と被り、輝く衣をまとい、天王が支える台座に立ち、顔の周囲には五十二もの化仏があります。そして、千本近い手を持ち、その幾本かは金色の仏具などを握っています。手の多さだけでなく、化仏の多さ、天王が台座を支える構図も、他では見られない珍しい点です。
また、暗闇の中で金色に輝く姿は、人々を苦しみから救うという観音菩薩の本願を視覚的に表現しているようです。

八相涅槃図はっそうねはんず

鎌倉時代(13C) 国重要文化財

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涅槃図のうち、涅槃前後の情景も描いたものを八相涅槃図と言います。本図では涅槃前の情景として、画面左上に蓮華座上の釈迦とそれを見る弟子達、中央上に中に浮く釈迦、右上に最後の説法をする釈迦が見えます。また涅槃後として、右中に棺を取り囲む弟子達。その上方に雲に乗った棺、左中に荼毘にふされる釈迦、その下に仏舎利を分ける弟子達を描いています。また本図には、涅槃前の釈迦の衣装を涅槃時と同じくすることや、釈迦の体を他と違う顔料で描くなどの工夫が見えます。一方で、慟哭する群衆の中に中華風の一団を描くなど、中国・宋画の影響も見られます。

大般若波羅密多経巻九十九だいはんにゃはらみったきょうかんきゅうじゅうきゅう

奈良時代(8C) 国重要文化財

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大般若波羅密多経は六百巻からなる経典で、その中でも、奈良・薬師寺に伝わり、奈良時代の能書家・朝野魚養(あさののうおかや)が書写したとされるものを魚養経(ぎょようきょう)と呼びます。本巻はその魚養経の第九十九巻です。
しかし、現存している魚養経の他巻には書写のいきさつが記されたものもあり、それによると、魚養経は官営写経所で書写されたようです。ただ、本巻をはじめとする魚養経の書風は見事ですし、朝野魚養は官営写経所に出仕していたことがあるようです。それらがあいまって、能書家・朝野魚養が書写したと言われるようになったと考えられます。

別異弘願性戒抄べついぐがんしょうかいしょう

鎌倉時代(13C) 作者:慈円(じえん) 国重要文化財

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本品は浄土教系の注釈書で、鎌倉時代初期の僧・慈円が記したと言われています。中国で大成された浄土教の主教義は阿弥陀仏の名を唱えれば往生できるというものです。平安時代初期には日本にも伝えられ、その後、法然が浄土宗を開創したことによって広く民衆にまで広まりました。
本品の特徴は、中国浄土教の大成者・善導の著書の要文や法然の著作の文章などを多く引用し、且つそれを他の文章より二字分下げた所に書いていることと、全体が仮名まじり文で構成されていることです。これらはより分かりやすく浄土教の教えを説くための工夫だろうと考えられます。

正親町天皇消息おおぎまちてんのうしょうそく

安土・桃山時代(16C) 作者:正親町天皇 国重要文化財

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本消息(手紙)の左部には、「青蓮院とのへ」「御返事」の文字が見えます。「青蓮院との」とは本消息の宛名で、青蓮院門主・尊朝法親王を指しています。また、「御返事」とは本消息の趣旨で、本文中に「ことぶき」「ぬる春」などの言葉が見えることも考えると、本消息が尊朝法親王からの念頭の挨拶に対する返事であることが分かります。つづいて本文を見てみると、左下に向って斜めに並んだひと塊りの文字群が一つの文を構成しています。また、名文は順不同に並んでおり、前後して読まなければ文章として成立しません。
一風変わったこのような書き方を散らし書きと呼びます。

陽光太上天皇消息ようこうだじょうてんのうしょうそく

安土・桃山時代(16C) 作者:陽光太上天皇 国重要文化財

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この消息(手紙)は多武峰妙楽寺への配慮を内府(豊臣秀吉)に求めるよう勧めたもので、天正十三年(1585)に書かれました。差出人は正親町天皇の皇太子・誠仁親王ですが、彼は皇位継承の目前(天正十四年)に病死したため、陽光太上天皇の追号をおくられました。また、消息を宛てられた青蓮院(尊朝法親王)はこの時期天台座主を務めており、天台宗の有力寺院・妙楽寺と成就院(清水寺)の間で起きた寺領に関する紛争の解決に奔走していました。またその過程で、豊臣秀吉に寺領維持を願い出ています。内府に求める配慮とはこのことを指していると考えていいでしょう。

唐花鴛鴦八稜鏡とうかえんおうはちりょうきょう

平安時代(12C) 国指定重要文化財

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中国唐時代の鏡を模して作られた本八稜鏡は、その文様に大きな特徴があります。中国唐時代に作られた鏡は鳳凰をモチーフとする場合が多くありましたが、本品ではそれに代わって、日本的要素が強い鴛鴦(おしどり)をモチーフとしています。また同じく主題となっている唐花も、日本的雰囲気を醸す瑞花文(ずいかもん)に近くなっています。このように本品は、唐式の鏡から変化して生まれた日本式の鏡(和鏡)の成立過程の一部をよく示すものと言えます。

変形四獣鏡へんけいしじゅうきょう

古墳時代(3C) 国指定重要文化財

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宮崎県児湯郡高鍋町持田25号古墳から出土した本品の特徴は、鈕の周りを4つの獣形文様が取り囲んでいることです。
ただ、元来中国で製造された四獣鏡には獣が姿がはっきりと表わされていますが、それを真似て日本で作られた本品の獣形は変形し、獣と言うよりも虫に近いような形になっています。
なお本品は、同じく持田25号古墳から出土した画文帯同向式神獣鏡と一括で国重要文化財に指定されています。

画文帯同向式神獣鏡がもんたいどうこうしきしんじゅうきょう

古墳時代(3C) 国指定重要文化財

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宮崎県児湯郡高鍋町持田25号古墳から出土した本品は、中心にある鈕の周りを神像・獣形が取り囲み、その外側に半円形・方形の文様がめぐっています。なお、神像・獣形は上下で同じ向きに配置されており、このことから「同向式」という名前が付けられています。本品は同じく持田25号古墳から出土した変形四獣鏡と一括で国重要文化財に指定されています。

佐竹本三十六歌仙断簡 紀貫之像さたけぼんさんじゅうろっかせんだんかん きのつらゆき

鎌倉(13C) 国重要文化財

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鎌倉時代の似絵の名品です。
もと上下二巻の絵巻物でしたが分断され、この紀貫之は下巻の巻頭、住吉明神の次でした。佐竹本は各歌仙ごとその表情を描き分けている点が優れているところですが、この貫之像も歌の意を受け、やや斜め上方を向きあたかも雪を望むかのように描かれ口の紅も鮮やかに気品高さを漂わせています。詞書は早い時期から失われたらしく、大師流の書をよくした狩野探幽の補筆と言われています。また表具の上下は本願寺伝来の能衣装の裂が使われています。

二十巻本類聚歌合断簡にじゅっかんぼんるいじゅううたあわせだんかん

平安 重要文化財

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この歌は天慶二年(939)に貫之家で催された歌合の中のものであり「二十巻本類聚歌合」の巻十七所収の断簡で「はしめの春」以下六首を存している。伝藤原俊忠筆と古来より伝わるが真蹟ではない。「二条切」とも呼ばれる。

現在貸し出し中の館蔵品

北野恒富 《淀君・仙人・美人・娘・蓮池》

展示会 千葉市美術館
会 期 平成29(2017)年11月3日(金・祝)~12月17日(日)

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